「マニュアル制作の現場から」なぜ、今、マニュアルなのか?

 マニュアルは否定的な印象をもたれることがある。「マニュアル人間」や「マニュアル世代」などは、よい意味では使わない。「決められた通りにしか動かない」、「自分で考えない」という意味を端的に表現している。

 「マニュアル」は、全く悪くない。マニュアルを使う側の問題で、運用力が低い場合は、マニュアルの成果が出ない。「トリセツ」に書かれている手順に間違いがあれば、マニュアルが悪い。これでは、マニュアルの意味がないので論外だ。

 結局、成果で評価されるのでマニュアルの限界を理解する一方、運用教育と合わせて成果を上げる必要がある。使う人の側にも原因があるのだ。だから、Tool☓Educationの相乗効果で成果を出す。

 問題解決には発散と収束のプロセスがある。市場が成熟し、競争が激しくなると自由な発想で多面的に物事を捉えて、競争に勝つ効果的な新しい手立てを講じる必要がある。誰もが、もっと自由に発想し、自分の言葉で意見を言えたほうがよいという、風潮もある。

 そんな時代であり、組織も教育もそちらの方向に向かっており成果も出ている。しかし、発散をしたら収束させなければ結論が出ない。結論が出なければ行動もない。組織活動には束ねが必要だ。マニュアルは、収束のツールだ。収束は、リーダーやマネジャーの役割だが、発散も収束も得意というバランスの取れた人材は多くない。

 「トリセツ」は、自由に考えてはいけない。

 経験のない問題解決は、できるだけ効率よく確実に解決することが求められる。問題を未然のに防止するためにも、効率的に解決するためにも業務を高品質で標準化させるマニュアルが必要だ。

 あまりにも変数が多くなると、わけがわからなくなって、まとまらないので「マニュアル」が必要とされている。

 

 

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